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黄昏の相馬市の様子 ーここは退屈迎えに来てー

   

相馬市内の様子

少し前ですが、相馬市内をスマホで撮ってInstagramにアップしました。相馬市は私が高校の頃には人口約4万人でしたが、現在は3万5千人に減少しています。南相馬から移ってきた人も含めて3万5千人なので、原発事故がなければもっと少なかったかもしれません。以前は夕張のような財政再建団体に陥ることが危惧されていたのですが、震災以降は復興予算が入ってきています。

イオン・吉野家・すき家・TSUTAYA・かっぱ寿司・幸楽苑などのチェーン店も市内に入ってきて、地元のシャッター商店街化が進み、マイルドヤンキーも多い。山内マリコ『ここは退屈迎えに来て』のように、東京に何となくの憧れを抱いていました。まさか再び相馬に帰ってくることになるとは…。

そんな相馬の様子をどうぞ。子供の頃は両親が共働きで、祖父の家で育ったのでおじいちゃん子でした。当時は両親の仲が悪かったので家に帰りたくなくて暴れたこともあり、両親と祖父の間でも亀裂が発生していました。そのため、おじいちゃんとの思い出の景色が多めです。

相馬市内写真集

相馬のメインストリート「田町商店街」。渋谷でいうセンター街のような場所です。センター街と比べると歩いている人は少なめです。

ハイカラヤ。相馬の中高生はみんなこのお店で学ランを買います。

丁子屋書店。小さいながらもマニアックな本が結構あって、地下鉄サリン事件の前はオウム真理教が出版した本も多数置いてありました。

相馬のお菓子屋さん「船橋屋」。和菓子も洋菓子も美味しい。相馬が舞台のNHK朝のテレビ小説「はね駒」にちなんだお菓子も売られています。

祖父の家に近くよくお菓子を買いに行った「ゆはら商店」。駄菓子屋さんです。店長のおじいさんが印象的だった。中学くらいの頃にシャッターが閉まって、今現在も閉まったまま。

祖父の家の近くの公園。以前は水の流れる公園でしたが、今現在は普通の公園に変わりました。

相馬にもオーストリアの首都があります。

祖父の家から近く、小さい頃によく行った床屋さん。今も営業しています。

私が交通事故で車に轢かれた場所。小さい頃には左側に私の祖父の家があって、右側に「ちいちゃん」という仲良しの女の子の家がありました。ちいちゃんの家に遊びに行った後に、祖父が窓から顔を出していたので、「おじいちゃん」と駆け寄ろうとしたら車に轢かれて救急車で運ばれることになりました。

写真屋さんの「星写真館」。以前はフィルム現像でだいぶお世話になりましたが、現在は記念撮影や年賀状作成などをメインとされているようです。

自宅の近所のお寺。中学校の頃にいじめられていた時はよくこのお寺の前を泣いて通りました。お寺の娘さんとは中学・高校の同級生。今も元気にしているかな。

私の家の近所の「齋藤商店」(血縁関係は無いです)。いまはデイリーヤマザキのフランチャイズ加盟店になっています。「齋藤商店」と「斉藤商店」の2種類の「さい」が違う看板が出ているけど、どちらが正しいかは不明です。子供の頃は自販機の場所にゲーム機が置いてあって、中学の下校帰りに友達とスト2をプレイしていました。

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)

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