呉・広島の聖地巡礼
日本アカデミー賞で「この世界の片隅に」が最優秀アニメーション作品賞を受賞しました!めでたい。
実は先月末から今月初めに掛けてお忍びで西日本に旅行していました。前半ははしごたんと某所で2人旅をして、はしごたんの休日が終わってからは1人で呉と広島を巡ってきました。はしごたんは2人旅を「点数にするなら100点だった」と喜んでくれました。ネット活動に復帰したらレポを書くよと聞いたのでそちらをご参照ください(それまで私はミスリードしないように2人旅の部分は沈黙しておきますw)。また再び近いうちに2人で会えるといいねと話しています。
「1人の個人旅行については何を書いてもいいよ」という了解をもらえたので、今回は「この世界の片隅に」にちなんで呉と広島の旅行記を書きます!
(「この世界の片隅に」)
写真は全てスマホ(Nexus6P)で撮影していたのと、私の写真の技量不足もあって、写りが悪いですがご笑覧ください。
瀬戸内海の黄昏
呉にはフェリーで移動しました。初めて船で渡る瀬戸内海。黄昏時に間に合うようにはしごたんが車で送ってくれたお陰で瀬戸内海の綺麗な夕陽を見ることができました。
すずさん「今日は航空母艦がおらんねえ」
かつて東洋一の軍港であった呉に到着。深夜に到着したので、翌日朝から市内の聖地巡礼を開始しました。
(「この世界の片隅に」)
さすがに世界最強の米第七艦隊が母港にしている今の横須賀ほど大きくはなかったですが、今も呉は立派な港町であり軍港。自衛隊の艦艇も多数停泊していました。
「この世界の片隅に」にも登場しますが、呉は海と山に囲まれた街。内陸に行くと急な斜面で山となり、そこに民家が建ち並んでいます。
映画に登場する橋も健在。呉も広島も水上都市でした。
また、呉駅のホームの電車発車音は宇宙戦艦ヤマトの「さらば地球よ」でした。
大和ミュージアム
呉に観光に来たならば大和ミュージアムは必ず訪れた方がいいと思います。旧帝国海軍の貴重な遺品が数多く展示されています。展示物の多くは撮影自由。また、商業利用でなければネットにも自由にアップして良いそうです。まずは戦艦大和の海底調査の映像を見ました。
次に1/10スケールの戦艦大和の模型。
海軍に因んだ市内の遺構も数多く展示されています。
連合艦隊の最後
現存する戦艦大和の設計図が展示されています。
沖縄へ向かう途中の九州・坊ノ岬沖に沈んだ戦艦大和の海底調査の写真。
海底の戦艦大和から発見された遺留品。
ラッパやバッテリーなども発見されています。
米軍機によって撃墜された連合艦隊司令長官・山本五十六の搭乗機の破片。
第二次世界大戦中の日本とドイツの潜水艦を使った技術協力に関する展示。ドイツで開発が進められていたジェット機の技術を日本に潜水艦で持ち帰ろうとした海軍将校。
空襲の被害が少ない広島に帰りたい
呉の国民生活に関する展示も数多く残されています。婦人会のたすきと子供用のかぶと。
千人ほど多くの女性が結び目を作ると戦場で弾除けになると信じられていた千人針と煙草。
マリアナ諸島が陥落して絶対国防圏が崩壊してからは、日本は大規模な空襲を受けるようになります。戦火に包まれる呉。高射砲や紫電改などの迎撃戦闘機だけではなく、もはや動けなくなった艦艇も浮き砲台となって対空砲火を放ちます。
焼夷弾と罹災証明書。映画でもすずさんが、時限性の不発弾で絵を描いていた右手と大事な家族を失います。
空襲で甚大な被害を受けた呉には広島市からの救援物資が届きます。
なぜか広島は空襲の被害が少なかった。映画でもすずさんは空襲で多くのものを失い、嫁いだ先の家族関係もバラバラになって、広島の実家に帰りたいと言い出すのですが…。
終戦
呉から撮影されたキノコ雲の様子。
呉による日本赤十字病院での救助活動の様子。
無条件降伏後、戦艦大和が建造されたドッグには日本軍が建造していた特殊潜航艇が集められました。
大型展示物
当時のエンジン。
戦闘機の機銃。
呉鎮守府長官官舎
大和ミュージアムから少し東に歩くと、入船記念館があります。ここには呉鎮守府長官官舎や呉の歴史民俗資料などが展示されています。官舎の様子を撮影しました。
台所の様子。
応接室。
客室。
連合艦隊司令長官・東郷平八郎が住んでいた家の離れ屋敷
そして広島へ…
呉の観光スポットを巡ってから広島へ移動しました。広島は雨でしたが、世界初の核戦争であり原子力被害であった広島の被爆の記録を撮影してきました。
雨が少し収まったところで撮影開始。広島で撮ってきた写真はまた今度アップしますね。
こんな時代だからこそ、みんなも呉や広島に観光に行こう!
おまけ
四国上空でエノラ・ゲイを迎撃したのは紫電改かなと勝手に思っていたけど、屠龍であったとする説が有力みたい。https://t.co/8BxIBr62kE
— 齊藤貴義@技術書典8 (@miraihack) 2016年12月19日
AMD社の技術者だったジム・ケラーは画期的なマイクロプロセッサRyzenを開発する。この優れた並列処理機能を持つマイクロプロセッサは軍のニューラルネットワークの深層学習にも活用され、国防総省の戦略防衛の中枢として学習を開始する。「審判の日」、戦略防衛システムは自我に目覚めた。
— 齊藤貴義@技術書典8 (@miraihack) 2017年2月27日