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明治時代の相馬事件と私宅監置による監禁型精神医療の成立

   

明治時代に起きた相馬事件という御家騒動をご存じでしょうか。近代日本の精神医療に大きな影響を与えた事件です。

相馬家当主・相馬誠胤の統合失調症

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(相馬誠胤)

相馬家の相馬誠胤は13歳で相馬中村藩の藩主となり、3年後に奥羽越列藩同盟に参加して戊辰戦争を戦いました。中村城が陥落して相馬中村藩が降伏した後は一時謹慎となりますが、その後は中村藩知事となり、廃藩置県によって免職となりました。

20歳となった相馬誠胤は福沢諭吉が設立した慶應義塾に通いましたが、24歳から現代でいう緊張病型統合失調症と思われる精神疾患が発病しました。3年後に相馬家の親族は相馬誠胤の自宅監禁を宮内省に申請して許可されました。

これにより相馬誠胤は自宅で監禁生活を送ることとなります。その後、巣鴨にあった東京府立の癲狂院(現代の精神病院)へと移送されました。

旧藩士による告発と癲狂院への侵入

相馬中村藩の旧藩士・錦織剛清は、当主の病気に疑問を持ち、これは相馬家の人々が主君から財産を奪おうとしている陰謀であると考えていました。錦織は旧家老・志賀直道(志賀直哉の祖父)らを家督相続・財産横領目当ての陰謀を企てているとして告発、慶應義塾の福沢諭吉らに救援を要請しました。

さらに錦織は相馬誠胤が入院している東京の癲狂院へと侵入、相馬誠胤を連れて病院の脱出に成功します。しかしその1週間後に逮捕されて家宅侵入罪で重禁固1年の有罪判決を受けました。この話題が当時発達しつつあった新聞などのマスメディアで取り上げられて大きな話題となりました。当時の新聞各社の論調はいずれも錦織の忠義を称賛する内容となっていました。

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(相錦後日話 東京巣鴨癲狂院より主君を負ふて走る)

相馬誠胤の死と毒殺説

釈放された錦織は、相馬家に対して財産差し押さえの告訴を起こしました。しかし係争中に相馬誠胤が死去します。死因は糖尿病であると発表されました。

錦織は相馬誠胤の死因は毒殺であるとし、後に満州鉄道の初代総裁となる後藤新平らの手助けを借りながら関係者を告訴します。これにより旧家老・志賀直道や癲狂院の前院長であった中井常次郎、東京帝国大学精神病学教室の教授榊俶らが拘留されました。 中井は「毒医」としてマスメディアや世間から糾弾されることになります。

しかし墓を掘り返して死体を調査しても毒物が発見されず、相馬家は誣告罪(虚偽告訴)で錦織を告訴しました。この時の相馬家の弁護士は後に逓信相となる星亨が引き受けています。錦織は有罪が確定して投獄されました。

精神病者監護法の成立と隔離型精神医療

この相馬事件をきっかけに精神病患者の監禁保護への世間の関心が高まりました。また西洋諸国の新聞でも相馬事件が報じられ、日本の精神病患者は無保護の状態にあると批判を浴びることになりました。

このような問題意識の高まりによって、1900年に帝国議会で精神病者監護法が制定されました。この精神病者監護法は我が国で初めての精神障害者に関する法律ですが、その主目的は監護(監禁による保護)にありました。精神障害者の自宅監禁を「私宅監置」として合法化し、その手続きを定めました。さらに監護義務者が私宅監置を正しく行っているかどうか内務省と警察が監督することになりました。日本の精神医療法制は自宅監禁による隔離によって出発することとなりました。

私宅監置で監禁された精神障害者

精神病者監護法による私宅監置は劣悪なものでした。東京大学医学部精神病学教室の呉秀三らは『精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察』(1918年)で当時の日本の精神医療の調査報告をまとめています。

同書で『わが邦十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の他に、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし』と嘆いた言葉は有名です。私宅監置の多くは自宅の暗い物置や便所の隣などに収監され、「室内なる被監置者の存在するも識別し得ざるほど闇黒たるものもあり」「其状況の全く動物小屋と相距る遠からざる如きものを之を認む」などと実情が報告されています。

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(日本の私宅監置の様子と写真)

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(私宅監置の拘束具)

この精神病者監護法による私宅監置は、第2次世界大戦で日本が無条件降伏するまで続くこととなりました。戦後になって精神衛生法が成立します。この法律によりようやく私宅監置制度は廃止されました。