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「その時 歴史が動いた」瞬間の日常風景

   

歴史が大きく動いた瞬間を身近な体験と紐付けて記憶していることが多いです。ああ、あの時はケーキを食べていたな、つけ麺を食べていたなとか。そんな身近な体験で憶えている歴史的事件を時系列で書き出してみました。事件名を書かなくても何の出来事か伝わるかな?

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(NHK「その時歴史が動いた」)

ハゲるぞと言われた日

小学1年生の小さかった頃でおぼろげな記憶しかないのですが、ある時期に小学校に行ったらみんなが「ハゲるぞ」と言い合っていました。その頃は雨で頭が濡れるとハゲるという噂が飛び交っていました。みんなで「ハゲがうつる」と頭を触った手で触り合う遊びが流行っていたのを憶えています。

漢字2文字の日

家族でハワイアンセンターに初めて行っていました。フラダンスを見るのを楽しみにしていたのですが、見慣れない漢字2文字で今日のフラダンスは中止との張り紙が出ていました。家族の誰もその意味が分かりませんでした。帰りの車の中でも当時の私の家族はラジオを聴く習慣がなく子供だった私も半分くらい眠ったまま帰りました。

その日はおそ松くんの放送日だったので早く帰るように父にお願いしていました。帰宅したら郵便受けに号外が入っていました。おそ松くんが特番で放送していなくて泣いたのを憶えています。その日から数日間はビデオレンタルショップのビデオがほとんど貸出中になっていました。

小学校のテレビで生中継をみた日

小学校に登校したら普段ニュースの話題なんてしない同級生もニュースの話題をしていました。担任の先生が教室のテレビをつけてくれて外国の首都の夜の様子をみんなでみました。夜空には幾つもの明かりが光っていました。小学校でテレビの生中継を見たのはこれが初めてです。でも教室内が騒がしかったため担任の先生が怒って「もう見せない」とすぐにテレビを消してしまいました。

アイスを食べていたら臨時テロップが流れた日

夏休みでおじいちゃんの家でアイスを食べていました。突然テレビに臨時ニュースのテロップが出て「大統領が健康上の理由で職務を執行できなくなった模様」という内容のニュースが始まったのを憶えています。その数日後に見慣れない白髪のおっさんが戦車の上に立って演説している中継をテレビでみることになりました。

母が2人分の布団を出してくれた日

普段から父はNHKドキュメンタリーや政治系のニュースを視るのが好きでした。父は投票日の夜の選挙速報を視るのが好きだったのですが、この日の選挙速報は興奮気味に「日本が変わるぞ」と私に言っていたのを憶えています。母が私と父の2人分の布団を出してくれて、布団に入りながら夜遅くまで2人で選挙速報を視ていました。

高校の合格発表が消し飛んだ日

高校受験の合格発表日でした。高校まで合格発表を見に行って自分の名前があるのを見つけました。喜んで急いで家に帰ると、家族がみんなテレビを見ていました。東京で消防車や救急車が沢山停まっていて、大勢の人達が担架で運ばれていく様子が映し出されていました。一日中テレビはこの話題で持ちきりで合格祝いなどは吹き飛んでしまいました。

知っているサイトの管理人がテレビに出た日

大学を中退して東京に出てきた1カ月後のことでした。テレビがずっとバスの様子を映していました。私はその頃はまだ仕事がなかったのでずっと風呂無しトイレ共同のボロアパートでバスの様子を見ていました。私の知っているサイトがバスと関係があると知りました。そしてそのサイトの管理人がテレビに出てきました。管理人の顔を見るのはこれが初めてでした。その後有名となるこの映像と言葉ですが、当時はその価値が分からず、ニュース取材の1つとして普通に流して見ていた記憶があります。

誕生日ケーキを1人で食べていた日

誕生日だったので夜にホールケーキを買って1人で食べていました。そうしたら当時つきあっていた愛知県の女子校生から電話が掛かってきて、「ニューヨークが大変なことになってる」と教えられて慌ててテレビを視ました。私のホームページの掲示板にも数名の常連さんが集まってきて、ホームページに設置されたチャットで「これから世界はどうなってしまうんだろう」と意見交換しながらテレビを見続けました。

選挙事務所で偉い人から「選挙どころじゃないぞ」と言われた日

新潟に行っていました。手配してくれたウィークリーマンションに1人で住みながら統一地方選挙候補の事務所に通って事務作業をやっていました。その日は事務所のみんなも興奮気味で、支持労組から派遣された選対事務局長も興奮気味に「これは選挙どころじゃないぞ」とつぶやいていました。テレビを点けてみんなで遅くまで見ていました。小学校の時に教室のテレビでみた光景と既視感がありました。労組を中心に市内で反戦デモをやろうという話が出て、急きょそれに参加することになりました。

安否確認の電話が沢山掛かってきた日

秋葉原のマンションに住んでいました。その日はお昼まで寝ていたのですが、彼女や友人や家族から心配の電話が掛かってきて起きました。その後も電話やメールが来たのですが、外出していなかったので大丈夫と答えました。翌日にソフマップ周辺を見に行きました。沢山の花が置かれていました。

つけ麺を食べに外に出たら帰れなくなった日

神田小川町のマンションに住んでいてパソコンで仕事をしていました。マンションが倒れるのではないかと思うほど大きく揺れてパソコンをシャットダウンもできず、必至でモニタを押さえました。臨時ニュースをみてすぐに家族に電話をしたのですが繋がらず、お腹が空いてきたのでつけ麺を食べに行こうと外に出ました。神保町のつけ麺屋さんはやっていたのですが、通りには大勢の人達が歩いていました。食べ終わってマンションに戻ったら出入り口が開かない。不動産会社へも電話が通じない。

途方に暮れて秋葉原まで行きましたがお店はどこもシャッターを閉じ始めたところでした。漫画喫茶に入ろうとしたのですがどこも満杯。仕方なく小川町まで戻って公衆電話の前の長い行列に並んで電話をしてみたのですが、誰にも繋がらず…。近くの千代田小学校が臨時で使えるようになったと聞いて、周辺のリーマン達に混ざって小学校の中に入りました。毛布が支給されてみんなでラジオを聴きながら寝てみました。でも周りのリーマンのイビキがうるさくて全く眠れないまま不安な夜を過ごしました。

身近な思い出は記憶の整理箱

その時に自分が何をしていたかは歴史的事件を思い出す時の手がかりになりますね。記憶の整理箱になっているのだと思います。