はてな村定点観測所

運動、瞑想、睡眠、野菜350g

これから弱小テキストサイトの話をしよう

   

1日数十アクセスの弱小テキストサイト元運営が黒歴史を振り返ってみる

はてな村の過去を語る流れなので、私も弱小テキストサイトの運営者だった当時の黒歴史を振り返ってみる。

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「齊藤貴義の学問ホームページ」時代(1998年〜)

私は1998年からジオシティーズで「齊藤貴義の学問ホームページ」というサイトを運営していた。ここには自由大学というページがあり、誰もが教授になれて自分の講義のテキストがアップできるようにした。最大10人くらい教授が集まった。当時はCGIに関する知識がなかったので講義のテキストはメールで送ってもらって私がHTMLに直してFTPアップしていた。トップページには私の顔写真を掲載していた。訪問者とのコミュニケーションツールはティーカップのレンタル掲示板を使っていた。1日のアクセスは数十人くらいの弱小ホームページだった。

「次世代情報都市みらい」時代(2000年〜)

「齊藤貴義の学問ホームページ」は2000年に「次世代情報都市みらい」に改称した。仮想都市空間を模してテキストベースで社会問題の情報サイトを目指した。1日のアクセスは数十アクセスくらいだった。当時CSSに凝っていてHTML 4.01 Strictで書いていた。途中でジオシティーズをやめてCPI(現KDDIウェブコミュニケーションズ)のレンタルサーバーに移転した。mirai-city.orgという独自ドメインを取得した。

ブログ・ウィキの時代

2002年の終わり頃に日本でも紹介されてきたウェブログ(ブログ)というものに注目して、Movable Typeで「次世代情報都市みらいブログ」という個人ブログを立てた。CGIをカスタマイズする楽しさに目覚めて入門サイトで勉強しながらPerlのソースコードを修正していった。DreamweaverやFireworksを使い始めて、自分で画像素材を作り始めた。1日百数十アクセスくらいだったが、1回だけインドとパキスタンが国境で武力衝突した時に私のインドについてのページがYahooトップページからリンクされて鬼のようなアクセスがあった。Yahooトップに載ったのはその1回きりだった。

2005年に「ブログの時代は終わってこれからはウィキだ!」と思い立って、MediaWikiを使ってコンテンツをウィキに載せていく作業に着手する。

はてなとの出会い

はてなを知ったのは2002年頃。人力検索サービスとして認識した。その後にアンテナが始まって自分もちょっと使ってみた。はてなダイアリーが出た時はかなり衝撃的だった。はてなキーワードで同じ話題を話しているダイアリーを探すことができ、そして当時のはてなキーワードはSEOにも強くて検索上位にも来やすかった。私もはてなアカウントを取得してはてなダイアリーを使い始めた。当時は「焚書官の日常」さんのブログをよく読んでいた。

はてな合宿の成果ではてなブックマークができた時は、当時ティーカップ社の社内でも話題になっていた。同僚とメッセンジャーではてなブックマークの話題を話したのを憶えている。

はてなブックマークで自分の書いた記事が話題になった!

2005年頃も私は次世代情報都市みらいブログを書いていたが、2005年7月3日に書いた記事「WWWの時代分類」にはてブがついて人気エントリーに掲載された。合計で40ブクマほどついた。今でこそ少ない数だが当時はブックマークユーザーが少なかったので、それだけブクマがついたら人気エントリー入りできた。

当時はまだ『ウェブ進化論』が出版される前でネット社会論を語るのがブームになっていた。「WWWの時代分類」もその流れに乗って書いたものだった。id:umedamochioにトラックバックを送ったらブクマがつき、id:otsuneにもシェアされ人気エントリー入りした。当初は「インターネットの時代分類」というタイトルだったが、はてブ経由で「インターネットはWebのみを指すものではない」と手斧が飛んできて、途中で「WWWの時代分類」にタイトルを変更した。その後のモヒカン族というワードの流行りに便乗した「モヒカン族と社会契約論と国家主権」という記事もヒットした。

今となっては結構外している分析で恥ずかしいが、当時の「WWWの時代分類」という記事は以下の内容であった。


WWWの時代分類(2005年7月3日)

最近よく思うのですが、WWWのコミュニケーションの発展にも幾つかの時代区分というか、歴史展開と似たようなものがあったように思います。自分的にふり返るとこういう感じの分類かな。

集落型 1995年ー1997年

WWWの黎明期。いくつかの少数のサイトが点在している状態。情報はそのサイトにしかない場合が多く、サイト相互の関係は没交渉的。利用者は情報を得るためにはそのサイトに行くしかなかった。この時代では、「情報の存在」が重要な要素となった。

都市型 1998年ー2000年

サイトが多数出現し、利用者も急増。YahooやMSNなどのポータルサイトが発展し、各サイトでも情報だけでなく掲示板や日記などの自律的なコミュニケーションツールを搭載したところが多くなった。情報は必ずしも一つ又は少数のサイトに紐付くものではなくなり、情報のまとめ方やコミュニティのまとまりが重要な意味を持つようになった。利用者もサイトを選ぶようになった。この時代では、「情報のまとまり」が重要な要素となった。

国家型 2001年ー2003年

複数のサイトの中で、人を集めることに成功したサイトが台頭していった。アクセスの一極集中型。典型的な例が2ちゃんねる。人が多くいるところに情報が集まり、そういうアクセスや情報の多いサイトにアクセスすれば、自己完結的に情報収集ができるようになった。従来型の個人サイトの役割や独自性は衰退し、個人サイトの情報も大手サイトの情報に連動する傾向が強くなった。この時代では「場所」の概念が重要な要素となった。

ネットワーク化された個人型 2004年ー2005年

場所が重要であった時代は、BlogやRSSなどの技術の発展と普及により徐々に過去のものとなりつつある。ネットワーク化された個人は、もはや場所を選ばなくとも多数間へ向けて情報発信ができるし情報収集もできる。「サイト」(拠点)という考え方も徐々に薄れ、個人がアンテナを持って通信しあい、有機的なネットワークを構成している。この時代では「個人の持つ情報」が重要な要素となっている。

ネットワーク化された知識型 2006年?

情報はもう個人に依存しなくなる。知識自体が個人や集団単位から独立して、ネットワーク化されて自律的に発展していく。個人はネットワーク化された情報にアクセスし、そこから情報収集したり新たな情報を付け加えるだけのかたち。つまり個人は「知識」にとってデバイス(周辺装置)の一部に過ぎなくなる。おそらく当初はwikiの発展型のようなツールやP2Pなどの技術がそれを支えるんだろうけど、その後どうなるかは不明。

非常に大雑把な分類なので、ステレオタイプな部分がかなりあると思いますが、ざっくりとそういうことを考えてみました。気付きにくいところで、ネットのコミュニケーション形態は急速に変わってきています。もう死語となりましたが、まさにドッグイヤー。その流れをきちんと追っていけているか、自分で不安になることがあります (^^;)


テキストは変わっても人間は大きく変わらない

当時の弱小テキストサイト運営者の思い出を振り返ってみると、今と書く内容は大きく変わったが、個人の価値観についてはあまり変わっていないように思う。まあ、何だかんだで当時は楽しかった。

これらのテキスト文化がやがて「Web2.0」ブームへと巻き込まれていく。それは新たな「日本のウェブは残念」とされる黒歴史の始まりでもあった…。

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

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