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日本人は議論ができない 議論が成立しない人の特徴18タイプ

   

日本ではパブリックな議論サービスが根付かない

衆議院選挙関連などで「日本でもパブリックに議論を展開できるWebサービスがあった方が良いのではないか」という意見をよく見掛けました。

そういうサービスがあれば良いなと思うのですが、今まであまたの人々が日本でそのようなサービスを考えて立ち上げて失敗したのを見てきました。そういうサービスの屍を見ていて思うのは、日本人はあまり議論が好きではないし得意でもないのかなと思っています。議論が実りある結果に終わることがとても少ないんですよね。完全なモデルケースとは言えないですが、Redditのようなサービスはなかなか日本では根付かない。

私もあまり議論が得意ではないので人のことは言えないし、普段は喧喧諤諤の議論をするわけではなく「すみません」と自説を引っ込めることも多いのですが、ネット上で議論が成立していない残念なアンチパターンは結構見てきたように思います。今回はそんな議論が成立しない日本人のタイプを18種類に分類してみました。

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議論が成立しない日本人の特徴

罵倒や汚い言葉で攻撃するバーサーカータイプ

「ふざけんな」「バカじゃないの?」「じゃねえよ」「ボケが」「クソが」など威勢がいい言葉を浴びせる人達がいます。何かを強く否定したい気持ちをご自身の言葉で表明されたのかもしれませんが、自説を論理で補強する材料には1ミリもなっていません。議論をするときに理性より感情を重視する人には物怖じさせて沈黙させる効果はあるかもしれませんね。

常識を持ち出して批判する異端審問タイプ

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「そんなの常識だろ」「常識で考えろ」など常識を振りかざす人もいます。常識とは、ある場所、ある期間、ある時代に、多くの人々が「真実として検証されている」と信じている知識のことです。したがって、常識は必ずしもウソではありません。しかし、その検証方法が間違っていたかもしれないし、前提条件が変わってしまったかもしれません。常識は日常生活において思考のショートカットでもありますが、議論をする上では常識の前提条件を検証する態度が重要でしょう。

根拠を出さずに批判して達観する安西先生タイプ

「この人、何もわかってない…」。これだけしか指摘されないと、どのようにわかってないのか検証する術がありません。わかってないのは自分自身かもしれません。反論する以上は根拠を出した方が建設的です。

個人的な内面の表明で批判する臨床心理学タイプ

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「気持ち悪い」「うわぁ…」「俺は嫌いだ」など個人的な心情を表明されることは尊いことであり繊細で豊かな感情をお持ちなのだと思いますが、そのような感情を抱いている人は自分自身だけかもしれません。感情のぶつけ合いでは口喧嘩と変わらないので、議論をする以上は論理立てて主張を構築しましょう。

異論をブロックで粛清するスターリンタイプ

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ネット上で意外に多いのがこのタイプ。論争的な話題を提起して色々な人が議論に参入してきたのに、自分と異なる意見や批判が向けられるとブロックして視界から粛清する人達です。反対意見も含めて議論していけばより発展的な議論ができるのに、それを自ら排除して自分の計画議論だけを進めようとします。誹謗中傷などでブロックするならわかりますが、異論だけでブロックするのは肝っ玉が小さいですね。自由に議論を戦わせる人々が最終的には優れた結果を生むでしょう。歴史がそれを証明しています。

コンテクストこそ至高と考えるモダニズムタイプ

「私の言いたかったことが伝わってない」「言いたかったことと違う」「誰も本質を理解してない」「的外れ」などのような弁明をネットでもよく見掛けます。いと高きところにおわしまして、地上の無知蒙昧な大衆の愚かさと無理解を嘆くタイプです。確かにコンテクストが曲解されて伝わったのかもしれませんが、テクスト論では「作者の死」などのようにテクストは作者の意図の支配を離れて多義的に解釈されるべきだとする立場もあります。そこから新たな気づきが生まれることもあるでしょう。テクストはあなただけが統治するものではないのです。

批判だけしかしない野党タイプ

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「野党かよ」と思うくらい何事も批判だけしかしかい人もいます。健全な批判精神のもとで批判に次ぐ批判を続けていれば何らかの魅力的な解決策や視点が生まれる可能性はありますが、その見込みが無いまま批判し続けるのは現状追認を何ら覆す結果にはなりません。国会を見ていればわかりますよね。

可能性は残されていると主張するカルト信仰タイプ

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「○○の可能性は否定できない」「定説は間違っているかもしれない」などのような可能性の議論も見掛けます。森羅万象すべてについてコペルニクス的転回やパラダイムシフトの可能性はあるでしょう。それは同時にこの指摘は何も言っていないし証明していないことと同義です。可能性のロジック構築や定量化ができない議論は水素水やEM菌の議論でもよく見掛けますし、カルトの論拠も多くがこのような構造になっています。

重箱の隅をつつくような校正家タイプ

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(NHK Eテレ「重箱の隅 つつくの助」)

誤字脱字・Typo・揚げ足取り・本論の主旨を変更するものではないデータや知識の不備を突いて、鬼の首を取ったかのように勝利宣言する人がネット上には結構います。その指摘が攻撃力が低く、相手の議論の本旨を覆すものではない可能性を留意する必要があるでしょう。

絢爛たる比喩を生み出すシェイクスピアタイプ

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例え話が好きな人は多いですよね。比喩を出すことで議論したい事象がより明確に相手に伝わることもあります。絢爛たる比喩は修辞学の観点からも素晴らしいものです。しかし比喩は慎重に出さなければ、ともすれば本題と全然関係ない議論に陥ってしまいかねない陥穽もあります。比喩のラビリンスに突入したらなかなか抜け出ることはできません。比喩と本題でどの部分が似ていて、どの部分が異なるのかを明確にする必要があるでしょう。日本の財政赤字を一家の家計に例える議論などもそうですね。

長文で議論の焦点をぼかすフィリバスタータイプ

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何千文字もの長い主張が書かれていても、放談調で何が争点であるのかが明確になっていないと、議論は漠然としたものになってしまいます。争点の緻密さや正確さを担保するために長い立証が必要となる場合も勿論ありますが、そうでなければ主張の論点や争点を端的かつ明確にした方が相手に伝わりますし、より実りある議論ができるでしょう。そして個別の論点について、どのような論争になっていったのか定点観測する必要もあるでしょう。そうでなければ長引くだけの単なる話し合いに終わることになります。

理想論や綺麗事を振りかざすトマス・モアタイプ

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日本には建前と本音という美しい伝統的価値観がありますが、議論で建前を持ち出しても何ら益するものがありません。実態を見ずに綺麗事や美麗字句だけを並べて人々の共感を得ようとする態度は単なるデマゴーグです。シビアに現実を見ていく視点が議論では必要とされています。綺麗事や理想論で世の中が動くならば、今ごろ世界各国は武器を全て溶鉱炉で溶かして恒久平和が実現し、私達は音楽や文学などを愉しむ牧歌的な生活を送っているでしょう。

毒にも薬にもならない話しかできない教科書タイプ

議論をする以上は自分の旗幟を明らかにして独自の持論を展開しましょう。論点を網羅していく必要はありますが、あらゆる視点を羅列していくだけだったら、毒にも薬にもならない世間話になります。自分の視点や守りたい価値・考えとは何であるのか、自分は何を間違っていると思うのか、他者の意見と比較して独自性が何であるのかを明確にしていかないと、ただの教科書的な主張で終わるでしょう。

価値比較ができない南雲忠一タイプ

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「でもこれも大事だよね」「それだけじゃないよ」「他にも色々あるでしょ」など世の中のあらゆる論点は基本的に重要です。しかし、その中でも私達が優先順位をつけて取り組んでいかなければいけない問題や、いま手を付けるべきではない問題も沢山あります。どの論点も等価で議論することになったら、おそらく議論の目的は達成できないでしょう。価値比較は大事です。

証拠を明確にせずに持論を展開するSTAP細胞タイプ

議論をするからには論理一貫性が通っていることは最低限必要ですが、それ以上に重要なのはデータや証拠文献を集めることです。論理の筋道が通っていてもデータが無いならば、誰も追検証することができず真偽が分からないままになります。反証可能性が要求されているのは科学だけではなく、議論においても同じです。個人の体験や思索から導き出した結論であっても、それを一般化できるかどうかはデータや文献を可能な限り集めていくことが重要でしょう。

因果関係と相関関係の混同するNHK AIタイプ

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(NHKスペシャル「AIに聞いてみた どうすんのよ!?ニッポン」)

はい。相関関係は因果関係を示すものではありません。朝ご飯を食べる子どもが成績が高い傾向にあるのは、朝ご飯の摂取に脳のはたらきを優れたものにしていく直接効果があることを示すものではなく、規則正しい生活を送っている家庭環境などそれ以外の因子が関係しているかもしれません。疑似相関になっていないか解析していく必要があるでしょう。

アカデミックに煙に巻く衒学家タイプ

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「マルクスを読め」などで議論を煙に巻いたり、必要でもないのに専門用語を駆使して難解な議論を展開しようとするのはペダンティックです。学者や著書の権威を借りて論証不十分な自説をカモフラージュするのも良くないでしょう。専門用語は議論を難解であるかのように見せて権威づけをするためにあるのではなく、精緻な議論を重ねていくためにあります。その基本を忘れたら、議論はただ難解なだけの中身が無いものになるでしょう。

レッテルやステレオタイプで人を貶めるタイプ

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「嘘つき」「性格が悪い」「売国奴」「極悪人」「ヒトラー」など誰かにレッテルを貼って人格攻撃したり、ステレオタイプで判断した議論を展開するのは最低な行為です。それが結局はその人が持っている意見の有用性を無下に殺してしまうことにもなり、議論を通じた相互理解や発展を困難なものにしてしまいます。「日本人は議論が弱い」「議論に弱い人はこんなタイプ」のようにステレオタイプな認識を列挙するのも同じです。故に私は議論が弱いのです。