常磐線が全線復旧・双葉町の避難指示が一部解除
2020年3月14日の今日、東日本大震災と原発事故が起きてから不通となっていた常磐線の区間が全線復旧しました。それに合わせて同じく今日、双葉駅周辺の避難指示が一部解除されました。一部とはいえ双葉町の避難指示が解除されたのは震災以来初です。止まっていた時計の針が今少しずつ動き出そうとしています。ということで今回は双葉町に行ってみました。
常磐線で双葉駅へ
今回開通となった区間は、常磐線の浪江駅から富岡駅までのおよそ20キロメートルの区間です。東日本大震災以来、福島第1原発の近くを通るこの区間は9年間復旧することがありませんでした。東京オリンピックに向けて福島の復興を世界にアピールする思惑なども無関係ではないとはいえ、鉄道の復旧は地元にとって悲願の1つでした。
双葉駅の路線図です。発表された時刻表では電車はだいたい2時間〜3時間に1本くらいです。特急の復活も決定して、特急で上野や品川にも行けるようになりました。
双葉駅構内の様子です。駅舎は新しくなっておりとても綺麗です。双葉駅は無人駅です(今日は初日ということもあって駅員さんがいました)。12時に到着した電車で30人くらい降車した乗客がいました。乗客は地元の人はあまりおらず、撮り鉄と思われる一眼レフやミラーレスを持った人が多かったです。
自動改札の付近に放射線量が表示されています。この時は0.086マイクロシーベルトでした。個人で線量計を持っていったのですがほぼ同値です。
駅舎の様子です。あいにくの雨模様でした。今日は開通記念式典が駅前で開かれる予定だったのですが、新型コロナウィルスの影響で中止になりました。
駅前の様子です。先ほど降りた乗客以外には誰もいません。
双葉駅周辺の散策
ひとまず駅周辺を歩いてみることにしました。駅近くに放射線モニタリングポストがあったのですが、放射線量は毎時0.273マイクロシーベルトでした。
駅周辺の民家はこのように窓ガラスが割れたり扉が開いており、中が荒れ放題になっています。これは地震によって破壊されたものも多くありますが、明らかに人為的な要因によって荒らされたものもあります。その後に獣が入り込んだり風雨が入り込んだりしてさらに荒れています。浪江町にもこのような人家は沢山ありました。民家の中には入らず、あくまで入口から見える様子を撮影していきました。
倒れた木の扉に苔が生えています。家が破損して誰も住まなくなってから苔が生えるくらい歳月が流れたことを強く実感しました。
生活用品店。入口は壊れています。
生活用品店の入口から中を見ると商品が散乱していました。
正福寺という真宗大谷派のお寺です。本堂が地震によってかなり傾いており、壁があちこち割れています。本堂の上部は破れていて雨風などが入ってくる状態になっていました。
おそらくお寺の鐘があった場所と思われます。倒壊しています。
薬局も窓ガラスが割れて店内が荒れていました。サトちゃん人形が変わらぬ笑顔なのがシュールでした。
こちらは復興作業です。せめて神社だけでもという地元の人々の願いかもしれません。初發神社の社殿が地震によって倒壊したため、新しく社殿を建てる工事が行われていました。
鳥居も倒壊しており、全てを復旧させるにはまだ時間が掛かるかもしれません。
倉庫のような大きな建物ですが、ブロック塀が大きく崩落しています。
電信柱が傾いていたり、ガラスが飛散しているなど危険な場所は結構あります。倒壊しそうな建物もありました。双葉町を歩くときは細心の注意が必要です。
消防団の施設です。シャッターが人為的にこじ開けられています。
消防団の控え室。おそらく東日本大震災や原発事故の時も、多くの消防団の方々が避難誘導に当たられたのだと思います。
シャッターの中には消防衣などがあり大きく荒らされたりはしていませんでした。
民家の入口近くの日本人形です。何かを訴えかけられているような気持ちになります。私の妹が防護服を着て一時帰宅したときも、母から贈られた日本人形が「置いていかないで」と言っている気がして持ち帰ってきた話を思い出しました。
駅近くの「ステーションプラザふたば」という施設で、双葉町の人達が電車で来た人達に無料ドリンクサービスと開通記念のタオルをプレゼントしてくれて、双葉町の復興計画について説明されていました。
私もちょっと休憩。
「ふたば、ふたたび☆」。震災前の双葉町が掲げていた「原子力 明るい未来の エネルギー」の看板は撤去され、一部は切断されて町の倉庫に保管されました。現在は福島県立博物館が収蔵しています。
双葉駅に到着した特急ひたち。これから再び福島と東京を結びます。
親子で大熊町に来て開通記念の旗を振る子どもと車掌さん。最後にこの2人の笑顔が見られて良かった。子どもは日本の宝ですね。年齢的に震災の後に生まれた子どものようです。
震災と原発事故の爪痕、時計が止まったままの街、震災から変わったものと変わっていないもの。この子が大人になる頃にはどんな日本が、どんな福島が見えているのでしょう。そんなことに思いを馳せながら双葉町から帰宅しました。