自由な香港を見ておきたかった
11月14日〜21日に掛けて約1週間の日程で香港と深圳に行ってきましたので、現地のレポ記事を書きます。
香港・深圳旅行に行ったきっかけですが、以前からハードウェアのシリコンバレーと呼ばれている深圳の今の様子が見てみたかったのと、香港のサイバーパンクな街並みを見て写真を撮りたいと思っていました。しかし、観光で行きたかっただけでデモは関係ないと言うと嘘になります。どちらの方向に進むにせよ香港でいま歴史が大きく動こうとしている。その様子を見てみたいという強い熱情がありました。香港市民ではないため、悪く言えば野次馬です。
そして私は中立的な立場ではありません。香港加油と思っており、自由を求めて立ち上がった香港市民を応援したい、見てきた現実を広めたいという気持ちもありました。香港は観光産業にかなり依存していて現在も観光に行ってはいけない街ではありません。そして、これは私の勝手で個人的な予想や見立てなので外れてくれたら私がバカだったですむ話ですが、自由な香港を今のうちに見ておきたいという気持ちもありました。
ただし香港に行くには注意が必要です。私が出国する時はまだ日本の大学生が逮捕される前でしたが、香港の治安部隊は外国人を含め3千人を逮捕しているという知識はありました。またできるだけ現地の動画を見て予習していたのですが、デモ隊に加わって「私はアメリカ人だ!逮捕してみろ」と叫んでいたアメリカ人女性が逮捕される光景も見ていました。治安部隊は外国人であれ容赦はしません。
そして実際に逮捕されたら日本国内で自己責任論の嵐が吹き荒れることも今までの経験から容易に想像できました。私個人がデモ隊の肉の盾となって香港の治安部隊に逮捕され拘禁されるのは名誉なことですし自己責任でいっこうにかまわないのですが、日本政府を巻き込み親族や知人まで日本のネットの自己責任論者に攻撃されるのは厄介です。
そこで今回は香港の様子を安全に見てくるために以下を肝に銘じて徹底することにしました。「大学など攻防が続く激戦地には行かない」「デモ隊に遭遇しても近寄らず撮影しない」「抗議運動の象徴である黒い服と黒いマスクや雨傘は避ける」「(特に中国で)滞在中は現地政府を直接批判することは書かない」「手荷物検査で怪しまれそうなものは持たない」などです。紙の手帳は自衛隊手帳を使っていたのですが、深圳では地下鉄に乗るたびに手荷物検査があると聞いたので置いていくことにしました。
1週間と短い期間でしたが、今回の香港・深圳旅行を通じて現地の様子が見えてきました。私は香港の抗議運動を応援していますが、抗議運動の戦術について幾つか懐疑的な思いを抱いた部分もあります。その点も正直に書いていきます。
到着初日に交通網が停止
成田から香港エクスプレスで移動して香港国際空港に到着。空港施設の出入口付近では警察の人達が10人くらい張り込んでいて独自にパスポートのチェックを行っていました。
私はバス停がどこにあるのか確認するために空港の外に出て、オクトパスカード(香港版Suica)を購入するために空港に戻り、再度バスの運行情報を見るために空港の外に出て、その後にエアポートエクスプレスに乗るために空港に戻ったのでかなり怪しまれました。「今日香港に着いたんですよね。どうして空港に戻るのですか?」と聞かれました。
宿泊先のある九龍の佐敦にはA21またはE23という系統のバスで行けるのですが、その両方がデモの影響で停止していました。空港を出てもバスに乗れなかった人達はかなりいて空港やバス停で寝ている人も結構いました。私は不眠症なので路上や車内などでは寝ることができず、翌日のためにも何とかホテルで眠りたいです。エアポートエクスプレスという九龍駅と香港駅に到着する高速鉄道を使うことにしました。
自動券売機が必ず2台だけ使えない
空港の出入口で張り込んでいる警察に事情を説明してから、空港の地下鉄サービスカウンターでオクトパスカードを購入してチャージしました。オクトパスカードにチャージする時に気になったのですが、自動券売機のうち2台だけ使えない券売機があります。
この2台だけ使えないまたは被破壊(破壊された)券売機はその後、香港の地下鉄の至る所で見掛ける事になりました。なぜ毎回2台だけ使えないのだろうとずっと思っていましたが、旅の途中で理由がわかりました。WeChat PayやAlipayなど中国企業のキャッシュレス決済アプリで購入・チャージできる券売機が抗議運動の破壊対象になっているようです。破壊されていないキャッシュレス券売機も安全のために停止しています。
エアポートエクスプレスに乗車。乗客は1車両に数人と少なかったです。15分くらいしてエアポートエクスプレスが九龍駅で停車したのですがドアが開かず、九龍駅を通り過ぎて香港島にある香港駅にまで行ってしまいました。どうやら九龍でこの日の夜は大規模なデモが行われていて九龍駅が使えない状態になっていたようです。駅員さんに「このあと九龍駅で停まりますか?」と聞いたら「九龍駅には停まりません。空港まで直通です」とのことでした。
仕方なくタクシー乗り場に。タクシー乗り場には60人くらい順番を待っている人がいました。欧米人が多かったです。タクシーに乗ったら運転手のおっさんから「香港がこんな状態なのに日本から旅行で来たの?Haha, Be careful」と英語で心配されました。香港駅から九龍駅まではそれほど遠くはないですが海底トンネルの通行料が掛かって3千円くらいでした。現地時間の1:30頃に宿泊先のBPインターナショナルに到着しました。
香港のテレビで政見放送を見る
BPインターナショナルは1泊8千円くらいでまずまずのビジネスホテルでした。香港のホテルの相場は日本と同等あるいはそれ以上です。私の部屋は浴室はなくシャワーのみでシャワーの角度も調整できません。トイレもウォッシュレットではなかったですが、その後のホテルも全てウォッシュレットはなかったのでこの辺の安いビジネスホテルではデフォルトなのでしょう。部屋は古いですが清掃は行き届いていました。フロントのメガネっ娘の店員さんがよく気が利く方で後でチップを沢山渡しました。部屋からの眺めも綺麗です。
テレビをつけたら香港の西貢区の区議会議員選挙の公共番組をやっていました。
手話通訳もついて時間制限ありで日本の政見放送とかなり似ています。違うのはディスカッション形式であったこと。中国語で討論していたので詳細は分かりませんが、区議会議員選挙には民主派と親中派がそれぞれ候補を擁立しています。民主派は現在の香港行政区政府の横暴を訴え、親中派は民主派が区議選を政治利用していることやあくまで区政を中心に考えるべきなどと訴えています。もう夜も遅かったので周辺を少し歩いて探索した後にセブンイレブンでお弁当を買って食べて寝ました。
九龍半島の佐敦と尖沙咀を探索
翌日に佐敦そして尖沙咀の探索に出掛けました。尖沙咀は香港の中でも有数の繁華街です。香港島にある中環(セントラル)という場所が多数のビルが建ち並ぶオフィス街で一番栄えていますが、尖沙咀は九龍半島で最も栄えていて駅近くには大型商業施設があり、離れた場所にも小さな店が多数乱立していて香港らしい場所です。佐敦はその尖沙咀から1駅移動した場所。九龍公園や廟街の屋台マーケットが近く食べる場所に困りません。退職記事の光景も多数見掛けました。
尖沙咀や佐敦を貫く幹線道路であるネイザンロードでは過去に何度もデモ隊と治安部隊が衝突していますが、私がこの日にネイザンロードを歩いた時にはその破壊の跡はあまり見掛けませんでした。お店も普通に営業しており、欧米人の観光客も多数います。日本だと香港ではデモ隊と治安部隊が街のあちこちで衝突していて街全体が戦場と化しているように思っている人が多いですが、街はいたって平静そのものです。
ただ、治安の関係か地下鉄の出入口が何カ所か封鎖されていました。そしてネイザンロードで目立っていたのは落書き。壁や封鎖された地下鉄の入口に多数の落書きがあります。
日本語で書かれた落書きもあります。板垣退助から取ったのでしょうか。「自由は死せず」
それ以外はいたって平常通りです。「デモが起きている場所以外は街は平静そのものです」とブログに書こうかと思いながら九龍を歩いていました(しかしこの状況は数日で激変することになります)。
香港島の吉野家
露店が見てみたくなって地下鉄で香港島の銅鑼湾駅へと移動しました。銅鑼湾駅ではデモの跡が残っており、レンガを投石用の武器にするため剥がした跡があります。またレンガが積み重なっている光景も多数見かけました。
その後でセントラルに移動しました。セントラルは香港で最も栄えている場所でスターフェリーも出ています。
セントラルの波止場から環球貿易広場を見つめました。環球貿易広場は香港で最も高いビルです。こうして見ると未来都市のように見えますね。
Apple Storeもデモのため休業状態になっていました。閉店の模様をカメラで撮影する欧米人が多数いました。Appleは自社製品ハードウェアのかなりの部分を中国に依存しています。また、香港警察やデモ隊が現在どこにいるのかを人々の投稿を元に地図上で確認できるアプリ「HKmap.live」を違法行為を推奨しているとしてAppStoreから削除しました。このためAppleは中国寄りと見做されていて九龍の店舗などが攻撃を受けました。
吉野家を見つけました。日本では装甲吉野家として営業していると話題になりましたが、私がセントラルに行った夕方頃にはシャッターが降りて閉まっていました。そしてシャッターには「吉野の名は洪明基によって汚された」と書かれています。洪明基氏は中国の合興集団のCEOであり、合興集団は中国での吉野家の経営権を取得しています。そして彼は中国人民政治協商会議の委員でもあります。中国人民政治協商会議は、中国共産党を含め各界代表で構成される全国統一戦線の組織です。洪明基氏は香港警察を支持する発言を度々しています。
シャッターに張られていた日本語の張り紙です。日本人へ向けたメッセージと思われます。張り紙はまだ新しく、この日の午前中にセントラルでデモが行われたためその時に張られたのかもしれません。洪明基氏を糾弾して、日本の吉野家は経営権を合興集団から切り替えるべきであると主張しています。
この日の夜は廟街の屋台でご飯を食べました。欧米人が多かったです。日本人の観光客はまったく見掛けませんでしたが、欧米人はかなり香港に来ています。カメラを持って街を撮影しているグループもかなりいてビジネスの人達だけではなさそうです。左側にはムスリムの方々がご飯を食べていました。私はオイスターソースの焼きそばを食べてBPインターナショナルのホテルに帰って寝ました。
旺角では砂嵐が舞い信号が停止していた
翌11月16日となりました。この日は香港・中国間の境界(イミグレーション)を通過して中国本土に入る予定です。香港と深圳は地下鉄で繋がっているため、当初のプランでは地下鉄で移動しようと思っていましたが、深圳と繋がっている路線(東鉄線)には大学駅という駅があります。この大学駅は香港中文大学の駅です。ここがいま激戦になっていて、東鉄線が旺角東以降は全面的に運休になってしまいました。
このため、バスで香港と深圳のイミグレーションを通過することにしました。しかしバスで移動するには少し時間があったため、今度は佐敦より北へ移動し、深水埗〜旺角を歩きました。
ここもネイザンロードが通っています。デモによる跡が生々しくレンガやバリケードを築いた跡が残されています。
デモによってネイザンロードの北部も含め広い範囲で信号が破壊されたか停止しています。警察の交通整理はありません。2車線道路や3車線道路の信号も停止していて歩行者が渡るにはかなり危険な場所もありました。救急車もなかなか進めません。以下は19日に私が撮影したネイザンロードの道路事情の動画です。
香港の道路、信号が止まっていて交通は大混乱。交通整理する人はおらず救急車もなかなか進めない。 pic.twitter.com/EjGY59qWeW
— 齊藤貴義@サイバーメガネ (@miraihack) 2019年11月19日
道路のレンガが剥がれた下は砂になっています。この砂が歩いたり車が通ったり風などで舞い上がり、砂嵐となって眼や鼻がムズムズします。催涙弾の影響の残りもあって、みんな鼻を啜ったり咳をしたり涙を流しながら歩いています。マスク無しでは苦しい場所もありマスクをしている人も多いです。そして砂がかなり靴に入ってきます。
宝飾店の店員さんも入口にずっと立っていて辛そうでした。
お店の前に板を置いたり定期的に砂掃除をしている光景はかなり見かけました。
元はレンガの地面だったのに応急的にアスファルトやコンクリートで舗装した場所も多く見受けられました。
香港の大手銀行である恒生銀行の前で、レンガが取れた後をコンクリートで固める人々。治安部隊もデモ隊も後始末はしないため彼らが街のインフラ復旧を支えています。後編で書きますが、香港の清掃業者の団体が催涙弾などの後始末は自分達だけではもう限界だとして、香港行政区政府に催涙弾処理の専門組織を設けるように訴えている光景も目にしました。
外資系企業が襲撃されていた
旺角では外資系企業も多数襲撃されていました。
中国旅行社も営業を停止しています。硬い装甲で店をガードしています。デモが起きた場所では中国系企業の店舗がかなり攻撃されています。後編で書きますが、スターバックスやマクドナルドなどの親中派寄りと見做された外資系企業も攻撃され窓ガラスが割られたり、店舗に火炎瓶が当てられたりしています。
中国旅行社の張り紙を読むと、今夜この地区で大規模なデモが予定されており安全のため営業を停止すると書かれています。私はこの日の夜には深圳へ移動したため、デモを目にすることはできませんでしたが、このデモと治安部隊の衝突が、尖沙咀や佐敦のインフラを広く破壊することとなります。
中国企業Xiaomiも営業を停止しています。壁には沢山の落書きが書かれていました。確かに中国共産党は恐ろしく、中国企業は中国共産党の政策を支える資金源となっています。自由を求めるための戦いは必要です。ただ、中国共産党の政策を決定しているのはこれらのショップの人達ではありません。そして吉野家も含めこれら企業のショップでは香港人も多数働いているでしょう。ショップを襲撃して休業状態に追い込み、休業状態の壁に落書きをしたりして一番困るのはそのお店で働いていたり利用している香港人なのではとも思いました。
装甲吉野家を発見しました。営業しています。
吉野家には「改装中のためご不便をおかけして申し訳ございません」という張り紙が貼ってありました。中では数人の人達が牛丼を食べていました。
メイド喫茶で休憩
旺角を歩いてだいぶ疲れたので、旺角のメイド喫茶「A‧T FIELD Cafe」で一休みしました。入店するなりメイドさん2人が「お帰りなさいませ、ご主人様〜!」と日本語の挨拶で迎えてくれました。
私が英語で挨拶するとメイドさんの1人が「もしかして日本人ですか?」と日本語で話しかけてきました。「はい、そうです」「私も日本語話せます。日本に住んでいたことがあります」と日本語がしゃべれた。もう1人のメイドさんも現在学校で日本語を勉強しているらしい。香港に来て初めて日本語で会話で会話ができた瞬間でした。
メイドさんから「日本から来てどの辺に泊まっているのですか?」と聞かれました。「九龍公園の近くです」「あの辺はここよりは安全ですね。良かった」「ただ、この後に深圳まで移動します」「鉄道が止まっています。あの辺は危険です。気をつけてください」とメイドさんに言われていったい自分はどの世界線を生きているんだろうという感覚に陥りました。
BGMでは初音ミクのメルトが流れていました。店内には香港のオタクっぽい男性が1人、腐女子っぽい女性が1人、ドリンクを飲んだりゲームをしたりしていました。このメイド喫茶ではSwitchやPS4のゲームのプレイは自由で無料、自分でゲームも持ち込んでプレイして良い、仕事に使っても良いと日本に比べてだいぶ自由度の高いメイド喫茶でした。最後に日本語が話せるメイドさんにチェキ写真をお願いしてお店を出ました。
香港の分断
現在の香港社会の分断を象徴するかのような選挙ポスターを見つけました。左側の候補は民主派候補で頭の部分を破られています。右の候補は親中派候補で顔に落書きされています。「建制」は中国語では軍隊や政府などの組織の意味。つまり管理社会をつくろうとしていると落書きされています。
監視カメラを警察に提供しているとする張り紙と投石用のレンガが置かれていました。
警察の車両です。遠くから撮影したため写真ではよく見えませんが、中には重装備をした警官おり、後ろには黒いマスクをした人達が入っていました。デモ隊であったのか警察であったのか定かではないですが、後ろの黒いマスクの人は窓から顔を出して何か叫んでいました。通行人がスマホのカメラを向けると顔認識を避けるためか顔を出すのを止めました。
これも遠くから撮影したため見えにくいですが、警察の車両4台が続いています。警察は襲撃を恐れてか複数車両で行動していることが多く、ネイザンロードのあちこちで止まって何かの作業を行った後にまた短距離を移動して停車を繰り返していました。監視カメラ関連の作業だったのかもしれません。通行人の人達は監視カメラによる顔認識を恐れて警察車両が近づいたら写真を撮りませんでしたが、警察車両が遠ざかったら写真を撮る人が結構いたため、私もその動作に倣いました。
こちらは商業施設のフードコートの一角。大きな柱に香港の人達が自由に書いた付箋が貼られていました。それぞれの人々の色々な思いが込められていました。香港がこれからどんな状態になっていくか誰にもわかりません。香港行政区政府や治安部隊にもおそらくわからないでしょう。香港が変わらず自由な街でありますようにという願いを込めながら、バスに乗って深圳に向かいました。まずはイミグレーションのある皇崗で下車となります。
香港加油だけど…
香港滞在の3日目が終わりました。私は香港に来る前は抗議運動に心から応援したい気持ちで来ました。その気持ちは今も変わっておらず、自由を求める戦いは必要です。
しかし戦術には問題があるように思いました。日本のメディアは主に治安部隊とデモ隊の衝突の様子を流していて、治安部隊がデモ隊に暴力を振るっているシーンを主に流します。このことは事実で大問題であり、一刻も早くこのような治安部隊の暴力を止めなければなりません。しかしメディアではデモ隊が街のインフラをどのように破壊して、それによって香港市民の生活にどのような影響が出ているのかはあまり報道されません。
道路や信号が破壊されて外資系企業が襲撃され、市民生活にかなりの影響が出ています。もちろんその第一の責任は強行的な立場を取る香港特別区政府や治安部隊にあります。しかし道路や信号や店舗を破壊しているのは彼らではありません。このようなことは現地でデモをされている方々は百も承知だとは思いますが、現在のデモの活動にはかなり街のインフラを破壊する内容が含まれていて、街の中にも香港特別区政府は問題だと思いながら破壊活動について「またか」と一番の被害を受けていることもまた事実です。これは香港特別区政府や治安部隊が鎮圧に乗り出す口実にもなりかねません。
かつて香港を統治していた大英帝国はガンジーの非暴力・不服従運動によってインドを手放すことになりました。相手は大英帝国ではなくガンジーのようにあり続けるには様々な困難があると思います。しかし破壊活動は憎悪の連鎖を生みかねず、香港の自由を守るためにも戦術の転換が必要だと思った3日間でした。