浪江町に行ってきました
昨年に原発事故の避難指示が解除された浪江町。しかし今年1月時点で全町民17,981人のうち帰還された方はまだ490人しかいません。
(浪江町公式サイトより)
浪江町の現在の様子がどうなっているのでしょうか。電車で行って取材してきました。
昨年5月にも浪江町を取材しているので2度目になります。昨年と比べて変わったところと変わっていないところがあるので、その点も解説いたします。
浪江駅から浪江町役場へ
浪江駅前の様子です。歩いている人は誰も見掛けませんでした。放射線測定器が設置されており、0.6μSv/h前後の数値が表示されていました。
浪江町の各所に放射線モニタリングポストが設置されているのですが、場所や時間帯によって大きく変わります。自分が行った範囲では0.02〜0.8uSv/hの範囲でした。山間部になるとかなり高くなるようで、サーベイデータを見ると2.73μSv/hにもなっています。
浪江町の駅前では浪江町出身の佐々木俊一が作曲した「高原の町よさようなら」の歌碑があります。前の石段に乗るとメロディが鳴るようになっています。
駅前の信号機は錆びて止まったままです。
前回と同じく波江町の中心街を町役場に向かって歩きました。歩いている人はほとんど見掛けません。前回と大きく違ったのは、前回は町のあちこちに今にも倒れてきそうな建物が沢山あってガラスも散乱するなど危険な状態だったのですが、今回行ってみたらかなりの建物が取り壊されて更地になっていました。そしてその更地に小さな供養塔が建てられている光景を多く見掛けました。
損壊したままの建物も残っています。
人通りはたまに車が1台通るくらいで歩いている人にはなかなか出会いません。
町役場に到着しました。今日は日曜日なのでお休みです。「新たな歴史の1ページを共に創ろう 再スタートなみえまち」の垂れ幕が掛かっていました。
浪江町役場の近くに「まち・なみ・まるしぇ」というプレハブの商店街があり、コンビニ・喫茶店・食料品売り場・コインランドリーなどの浪江町で営業している店舗が集中しているのですが、日曜日の今日はコンビニも含めてほとんどお休みでした。
前回もまち・なみ・まるしぇ以外では営業している店舗を見掛けず自動販売機も壊れていたため、今回は浪江町に来る前にカロリーメイトとミネラルウォーターを買って持参してきました。浪江町に入る方は事前に食料や飲料は持参してきておいた方がいいと思います。
浪江町で営業している店舗は以下のページで確認できます。建設・銀行・ガソリンスタンド・銀行などが主でスーパーマーケットなどはありません。コンビニは2店舗のみ、タクシーはお1人で再開されているそうです。
ここはコンビニだったと思われます。
ショッピングプラザにも行ってきました。福島のイトーヨーカドー・ヨークベニマルは廃墟のままでした。
しかしショッピングプラザの駐車場には現在も使われていると思われる車が停まっていました。居住されている方の駐車場として利用されているのでしょうか。また、前回はダイソーの廃墟だった場所が工事会社のオフィスになっていました。
↑前回の写真です。
ショッピングプラザの隣には新築のマンションが2棟建っています。町営住宅かと思われます。前回訪れたときは建築中だったのですが、今回は数部屋ほど洗濯物を干している部屋があり居住されている方がいると思われます。
更地を利用して太陽光発電のソーラーパネルも設置されていました。再びこのような悲劇を繰り返さないためにも原子力に依存しないエネルギーが求められているのだと思います。
浪江町を歩いてみて
前回は町のあちこちに倒れかかった場所や危険な場所が多かったのですが、更地になったところや町営住宅などもできて町の整備は少し進んでいる印象を受けました。とはいえ、原発事故以降、なかなか家に帰ることもできないまま更地にすることを決断された町民の方にとっては断腸の思いだったかと思います。
まだインフラや買い物ができる場所が整備されていないので、浪江町に戻って生活するのはかなり大変そうです。放射線量もやはり立入禁止が解除された町としては最も高く、このことも帰還を難しくしているのかと思います。
今回は本当は浪江町の海の方まで行きたかったのですが、歩くのもままならないくらいの強風のため断念しました。次回は海まで行って浪江町の浜辺の様子がどうなっているのかを取材しようと思います。
- 作者:恩田 勝亘
- 発売日: 2011/09/01
- メディア: 単行本