復興施設見学バスツアー
今日は相馬市主催の復興施設見学バスツアーに参加してきました。
バスに乗って相馬市内の復興施設を巡るツアーです。定員は20名で参加費は1,500円(食事代)。でも実際の参加者は私も含めて3人だけでした。そしてあいにくの雨。外観撮影が絶望的だったのと、本来はバスを降りて見て回る予定だったところが幾つか雨天のため飛はされました。内観はけっこう撮影できたかも。ツアーの内容と相馬の復興状況をご紹介します。写真は許可を得て撮影しています。
(ツアーのパンフレットに掲載されていた震災直後の相馬市内の様子)
震災後に建てられた防災備蓄倉庫「相馬兵糧蔵」に行きました。中はかなり広いです。水・食糧・毛布・衣類・照明・発電機・おむつ・生理用品・ストーブ・炊き出し用器具などが所狭しと並べられていました。
安定ヨウ素剤とマスクも備蓄されていました。原子力災害への備えかもしれません。
倉庫の奥には津波で殉職された消防団員の方々の遺影がおかれていました。津波が間近に迫る中、身を挺して避難を呼びかけて多くの相馬市民を救った方々です。
続いて磯部コミュニティセンターへ行きました。磯部は沿岸部でほぼ全域が津波で流された地区です。磯部公民館があった場所にシンガポール赤十字の復興支援でコミュニティホールが建てられました。
津波で流された直後の磯部の写真も貼られていました。
コミュニティーホールではおばあちゃん達が民踊の踊りの稽古をしていました。「ちょっど、こごで見ででぇ」と私達の前で踊りを披露してくれました。
続いて磯部の水産加工施設に。相馬の海で獲れたものが売られています。まだ多くの魚は出荷制限の対象ですが、ヒラメ・タコ・カニ・シラスなどが売られていました。タコはすごく…大きいです。
「非破壊式放射線測定装置 検査済」のシールが貼られています。
楽天の復興支援で建てられた相馬こどもドームへ行きました。人工芝の屋内運動場です。
実は東京を離れる時、楽天に勤めている友人が私を心配して食事に誘ってくれました。2人で一緒に渋谷でケーキを食べたのですが、そこで友人から「相馬に行ったことがある」と聞かされました。「どうして相馬に?」と尋ねたらこのドームの建設のために滞在していたそうです。友人よ、ありがとう。この恩は忘れません。
続いて伝承鎮魂記念館へと移動して、最初に相馬の津波被害のビデオを見ました。
館内には磯辺・松川浦周辺の震災前・震災直後の写真が多数展示されていました。自衛隊の救援活動の様子なども残されています。
瓦礫の中から見つかったけど持ち主が不明の写真たち。
天皇陛下・皇后陛下。
ブータン国王。写りが悪くてすみません。
車で移動中。津波で流された地域には沢山のソーラーパネルが設置されていました。
松川浦環境公園。
ここは公園が完成した直後に津波で流されました。園内のほとんどの植物が流れ、立派なヒマラヤスギも塩害と油で枯れてしまいました。この枯れたヒマラヤスギを使ってチェーンソーアートになっています。左には復興の文字。芝生や植林の復旧は多数のボランティアの手によるものだそうです。
このサンゴジュの木は公園の中で唯一津波から生き延びた植物だそうです。
続いてLVMH子どもアート・メゾンに行きました。ここはルイ・ヴィトンの復興支援で建てられた子どもへの絵本の読み聞かせなどを目的とした施設です。
ヴィトンの支援だけあって中はすごく綺麗でした。
調理できる場所もありました。
相馬の復興
震災や原発事故で甚大な被害を受けましたが、少しずつ復興も進んできています。まずもって誰もが気軽に遊びに来られる街にしていくのが復興への道なのかなと思います。
「福島産」と聞いただけで食べるのをやめたり吐き出したりしたという話もけっこう聞いていて、やはり気にする人は草の根レベルでけっこう多いのかもしれません。相馬市の放射線量は関東よりは高めですが大きなものではありません。来年から震災以降禁止になっていた海水浴も再開されます。みんな相馬に遊びに来てくんろ!
(相馬市の放射線量「広報そうま」より)

律令国家の対蝦夷政策―相馬の製鉄遺跡群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
- 作者:飯村 均
- 発売日: 2005/11/01
- メディア: 単行本